dotfes yugop × Qanta対談
yugop氏の作品はリアルタイム勢ではない僕がみても格好良い
インタラクションの心地よさでは「ゴップ」に勝てない
これってなんか、彼に「音楽家」として太刀打ちできないので「音楽」そのものを諦めることにした、くらいに雑な論理な気がする
yugopのyugop的な気持ちよさって、インタラティブ・デザインにおける快楽という全体集合のうちのごく一部に過ぎない。というか、IDM程度にはニッチなジャンルだったのでは
yugopのような72dpiでカリッと乾いた気持ちよさだけではなく、例えばWebGL界隈はHiDPIのヌルっとした心地よさという別の強度を打ち出せている。Demosceneの16msでバキバキしてアシッドな気持ちよさも、あるいは、JODIのようなノイズミュージック的精度の世界もある。「気持ちよさ」もまた多元的
恐らくそうしたインタラクティブ・デザインの多元性に気付けなかったところに、彼の作り手としての限界があるんだろうなと思う
それに00年代当時に気づけるかっていわれると難しいんだけど、もしかしたら当時からdemosceneやnet.art、あるいはコンピューターアートがWeb業界の中でしゃんと語られていたら、そうした多元性を見通せていたのかも
スキゾであることはまぁアッパレなことなんだけど、新しもの好きであるためにも、蹴落として前進していくための足場として歴史ないしアーカイブってのが結局重要だったのでは。反作用を生むための参照点がないゆえに、真空でもがいては同じところをグルグルしているのがデジデジ界の一般的傾向
グラフィックデザインやアニメーションの世界のように「ニュアンス」の言語に乏しい。それがフィージブルか否か、企みや仕掛けとしてどう社会にインパクトを与えられるかという大味な議論が中心
もちろんそれは大事なことなんだけど
NeRFも3DGSもLLMもいいが、飛びつくテクノロジーは新しくとも、そうしたテクノロジーと向き合う手つきは全く新しくない
クリエイティブ業界のイコンとしてのウンコ
まだウンコがクリエイティブだと思ってるの?
自身を「裏街道の人間」と位置づけていた
integratedな方向性って、むしろあの時代の王道だったような
ただのデジデジ・チンドン屋、ホームページ屋じゃねぇんだ。ブランド価値、メディア展開、事業立案、もっと色んなことを全体論的に見通せるのが我々デジデジ派のポテンシャルなんだ。的な空気感
王道であること、権威性を引き受ける大事さ
日本のグラフィック・デザイナーの教育とキャリアで何が王道か邪道かという議論は不毛だが、外から見たら多摩美のグラフィックは人数多いし、実態はさておき倍率高いから国内(特に関東)の上位層と当然見なされる。そこからデザイン業界にストレートに進めば「真ん中を歩いてきた」感はある。だからオルタナティブ・別ルート・邪道・変種キャラを演じてみても、実際いや多摩美でしょ、エリートでしょ、王道でしょと言われて通用しない。だったら一旦は「王道」を受け入れて、ひとまずいかにも日本の美大っぽい基礎課題をビシッとやるべき、と思う。
その点、Qantaさんは「制作会社の叩き上げ」という出自を引きずっているために「ど真ん中」ではないという自己認識が今に続いているんだと思う
偉くないうちはルサンチマン、偉くなったらペーソス
そんなに「作家性」って持ち上げられてるのかなぁ
「スター性」が独り歩きするのはわかる
俺は川田十夢さんの作品でブチ上がったことってない。だけど、作品の面白さ以上に、本人が語る言葉や人となりに惹かれるってのが一般的傾向だと思うし、それはしゃあない(作り手や同業者がその感覚でいるのは、まぁ、アレだけど)
案外みんな作品に興味がない。人が好き
Webもインタラクティブも人生という物語におけるある種のマクガフィン。そうしたメディアと向き合うことで培われる人生経験、クリエイティブな体験こそが重要で、畢竟その対象はWebじゃなくても良い
Qanta氏の語りは総じて「スター性」と「作家性」を混同している
むしろQantaさんこそが、知名度的にも経済的にも受賞歴的にも「スター」では
色々彼の仕事に影響を受けたところはあれ、今観てブチあがれる作品って、特にyugopと並置された時にほとんどない。もっと頑張れたでしょって思う
『おじいちゃんの形見』とか。忙しい人が作ったんだなぁって感じ
僕はその点、生き様よりも作品の方がまだ面白いタイプだと自負している。ただ自分にも自分なりのレベルでスター性のようなものは芽生えてしまっている感覚はある。制作環境にも恵まれてるし。ナードであること、日陰者であること、カウンター側であることを自認するあまり、僅かながらにも芽生えた権威性を引き受けないままでいることは避けたい。しゃんと向き合いたい
どうやって?
独りでに投げたい球を投げる輩よりも、 「いい球を打ち返す」タイプの方が、受託制作者として生きやすくね? 羨ましい
すぐメタに行こうとする傾向
東浩紀もメタをディスってた
ユーザー参加型にする、マネタイズの仕方をユニークにする
MVというビジネスとして死んだ表現領域において 、セットを売る、クラファンする、上手く企業広告と兼ね合わせる、みたいな方向に活路を見出す
「額縁」や「コンセプト」の話をする前に、「絵」という表現でできることはまだまだあるでしょうに
デジデジ界の新表現主義、ニュー・ペインティングが来るんでねぇか
「企み」「仕掛け」に疲れた
メタよりムキの時代
「丁寧であること」がアツい。ジャンルの中でひたすら丁寧に表現と向き合いつづけた結果、副次的に手法論としての新奇さがこぼれ落ちる感じ
僕のなかでは『化け猫あんずちゃん』がそう。別にイノヴェーティブで今までに無ぇ作り方をしようとしてロトスコをしたわけじゃない。敬愛する久野さんの中で、岩井俊二のもとに居た時代から育まれたものが10年掛けてああいった「新しいニュアンス」に結実した
総じて、Qantaさんは人が好きなんだなって思う
いわゆる一般的な意味での社交性というものは持ち合わせておらず、人間付き合いに苦手意識を持っていても、それ以上に自分という人間性のユニークさにそれなりに自負があるので、人と話すことはまんざらではない。という屈折したコミュ障っていると思う
まさに自分がそう 辛い
UNIQLOのクルクル。「結局アニメーションがやりたかったんだ」って下り
わきゃる